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33歳になりました。最近は『小説家になろう』や『ハーメルン』、ツイッターくらいでしか活動できていませんね(滝汗)。
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もうテンションだだ上がり

今日、『館』の『感想掲示板を兼ねたBBS』を見て、『マテそば』の感想をもらえていたことに気づきました。
それでもう、本当にテンションがものすごい上がりましたよ。気合も入りまくりましたし。
やっぱり、作品の感想はモノカキにとって最高のご褒美ですね!

さて、今日は自分でメモ帳にまとめた『ブログのネタ集』にある『小説の投稿は会社の書類審査と同じ』と『現代モノの枠に囚われるな!』、そして『努力は必ず報われる?』の三つをひとつにまとめて、久しぶりに『創作論』をやろうと思います。

長くなると思いますので、『More機能』を使うとしますね。




さて、『プロのクリエイター』(小説家だけでなく、漫画家なども含まれると思いますので、ここからは敢えてそう呼びます)になるために作品を応募するというのは、ものすごく倍率の高い会社の面接に行くのと同じことだと僕は思っています。正確には、書類審査を受けるのと同じ、でしょうか。

いまは就職難だ就職氷河期だと言われていますよね。しかし、クリエイターの業界は、いつの時代だって『就職氷河期』です。そして、その状況下で『プロ』になれる人というのは、大抵、ちゃんと『実力』のある人なんですよね。つまり、氷河期だろうとなんだろうと、出版社がとるのが20人であろうと10人であろうと(実際はもっと低いですが)、そこの書類選考でトップ――あるいは上から三番目あたりまで――にさえなれば『プロ』にはなれるのです。言い方を変えれば、選考委員を始めとした皆に『これを世に出したい』と思ってもらえれば、それでいいわけです。

ここで問題となるのは二つ。
ひとつは、書類審査しかやってもらえない、ということ。人間性とか、そういうのも『創作物』を通してしか伝えることができないわけです。面接をしてもらえれば表情なども見てもらえるのですが、それはほぼ絶対に望めないわけです。まあ、もちろん『持ち込み』という例外は存在していますが。

二つ目は、模範解答がまったくといっていいほどないこと。
面接をしてもらえるのなら、自分の所作のほとんどに気を配ることもできます。型にはまったやり方、基本とも呼べるやり方があるわけです。

でもクリエイターにとっての審査の対象は基本、『創作物』のみです。こうなるとパターン通りにやってもなかなか上手くいかないと思うのです。そもそも、パターン自体、そこまで確立していると思えませんし、クリエイターの業界では破天荒な作品のほうが高く評価されることも多いです。

ついでに言うなら、クリエイターの業界は狭き門であるくせに、全然安定のない――社会人的に言うなら、もっとも『リストラ』の可能性が高い世界でもあります。クオリティの高い作品をずっと世に出し続ける必要があるのですから、精神だってすり減ると思われますし。
つまり、プロになれる、なれないを別にしても、軽い気持ちで足を踏み入れれば、人生破滅の可能性が非常に高い世界なわけです。

ぶっちゃけ、『プロになって伝えたいこと』がない人、ちょっとでも『自分じゃなれそうにないな』と思った人は回れ右して別の世界に自分の居場所を見つけたほうがいいでしょう。


さて、ここからは『それはわかっているけれど、それでもプロになりたいんだ』という人のための内容です。言うまでもなく、僕もそう思っている人間ですからね。

ここではジャンルを小説の『現代ファンタジー』あるいは『現代モノ』に絞らせていただきます。
で、まず一番最初に意識すべきは、物語の展開が『枠』に囚われていないか、ですね。

『枠』というのは、全体の流れです。具体的には『出会い→日常→事件→元通りの日常』の流れです。
ある意味、『基本的な型』とも呼べる流れなのですが、『基本的な型』だからこそ、応募作品として投稿した場合、年々、落とされる確率が上がっていくと思われます。ぶっちゃけ、『基本』が飽きられている傾向が見られるからです。

よほど上手く書ける人なら『基本的な型』でも通用するのでしょうが(展開が読めることが面白さに繋がる場合もありますので)、そこまで上手い人ならば、むしろ展開そのものに気を配っているでしょうね。

ちなみに僕は、『日常』よりも『事件』の割合を多くしたり、『事件』をこまめに挿入したり、『出会い』を『事件』の最中に回想シーンで見せるなど、とにかく読み手が退屈しないよう、プロット上で対策を練っていたりしています。

最後は、僕はときどき(しょっちゅう?)ブログで話題に出していた『時間(とき)を待つ』ということです。
臆病な人間ととられるでしょうが、僕は二年前からの三年間を『修行期間』とし、自分に『待て』をしてきました。
振り返ってみれば、去年はスランプになったり、今年は『夏海紗音~』や『ヘヴンズ・ダイアリー』という、自分が現在練っている作品の作風とえらく被った作品が出てきたり、はたまた富士見書房のカラーと合わなくなってきていることに気がついたりと、応募していても散々な結果に終わっていたか、無事、受賞という『入り口』に立てていたとしても、そこから一歩も足を踏みだせずに埋もれていくかのどちらかだっただろうと容易に想像がつく状況が現実に現れていました。

少し話は逸れますが。
はっきり言って、失敗が容易に想像できるようでは駄目なのです。もちろん失敗の可能性は常にありますし、その可能性から目を逸らしたり、失敗から学ぼうとしないという姿勢は問題です。
でも自分が受賞の自信を持てない作品を、一体誰が評価してくれるでしょうか。

これは、最近『自分のいいところに気がついていない鈍感主人公、ヒロインたちからは評価されてモテモテ』というタイプの作品が人気を得ている理由――『自分には、自分が気づかないだけで、実はすごくいいところがある』ということが現実に起こって欲しいという願望――に通じるところがあるのですが、これはやっぱり、基本、物語の中でのみ起こるものなのだと思います。
現実で、自分では気づけなかった『いいところ』に他の誰かが気づいてくれるなんていうのは、本当に稀だと思うのですよ。
だって、『いいところ』を『自覚』できなければ、それを磨いていくこともできないのですから。

さて、話を戻して。
動くべき時期、動くべきではない時期というのは、やはり誰にでもあるのだと僕は思っています。
『動くべきではない時期』という言い方に違和感を感じるのなら、『休むべき時期』とか『知識・経験を自分の中に吸収・蓄積させる時期』などと言い換えてもかまいません。

息を吸い、吐く。それを繰り返すように。
波が打ち寄せ、引いていく。それが繰り返されるように。
やはり動く時期と動かない時期――『放出』と『吸収』も繰り返されるのだと思います。

そして、それを踏まえた上で。
僕は御幣があることを承知の上で、こう言います。

努力は必ず報われるとは限らない

と。

それは例えば、努力の『方向性』の問題です。
『国語』の勉強をせずに、延々と六法全書を読んでいれば、どうでしょうか。
努力はしています。それは認めます。
それに、六法全書を読んでいるのですから、『国語』の勉強をしていないとはいっても文字を読むことくらいはできるのでしょう。

しかし、です。
野球でボールを投げる際、いくら本でフォームを研究し尽くしていても、実際に鍛えなければ速い球やコントロールのいい球は放れないように。
やはり小説を読み、小説を書かなければ――その方向で努力していかなければ、絶対に小説家として報われることはないのです。

それは例えば、時期の問題です。
Aという人物には現在、100の『小説を書く』実力があるとしましょう。
そして、前から40の力を伴った風が吹いてきているとします。
単純計算になりますが、このとき、Aの『実力』は60までしか発揮できないことになります。残りの40は『40の力を伴った風』を相殺するのに使ってしまっているからです。

では、風の力が80ならどうでしょう?
当然、発揮できる力は20まで下がってしまいます。

さらに、実力が20しかないBという人物に、先ほどと同じく『40の力を伴った風』が吹いてきたら?
もちろん、数値はマイナスになってしまいます。これではいい結果なんて出せるはずもありません。

さて、僕はいま『風』という例えを出しましたが。
この例えを出したポイントは、『風』である以上、いつかは止むというところにあります。いえ、それどころか、向かい風ではなく、追い風となる場合だってあるでしょう。

そう、仮に80の力がAの背後から吹いてきたら?
本来の実力である100に風の追い風80がプラスされ、発揮できる力は180になります。

そして、Bにこの追い風が加わったらどうなるでしょう?
当然、発揮できる力は100になりますね。

さて、そこで。
『努力の量』イコール『実力の値』とし、Aには『40の力を伴った向かい風』が、Bには『80の力を伴った追い風』が吹いているとします。
そしてこの場合、Aが発揮できる力は60、Bが発揮できる力は100となります。

たくさん努力をしたのは明らかにAなのに。
Bの『実力』はたったの20しかないのに。
それなのに『風』の影響で、最終的に強い力を発揮できるのはBとなるのです。
これはもちろん、Bの『実力』が高い――『努力量』が多いわけではありません。
それでも客観的に見れば、いまこのときだけはBの力はAよりも上なのです。これは誰にも揺るがせない事実なのです。

時間(とき)を待つというのはこういうことです。
向かい風のときよりも無風のときに勝負を仕掛ける。
そして、無風のときよりも追い風が吹いているときのほうがよりいいのは言うまでもありません。

もちろん、向かい風のときだって勝負しなきゃいけないときはあります。負けるとわかっていてもやらなきゃいけないときはあるんです。
それをやらないのは、就職氷河期だからと家で遊んでいる、働く気の一切ないニートと同じです。

それに、『実力』――『努力量』が200も300もあれば、『風』なんてある程度無視して進むことだってできます。……ちょっとだけ、大変な進行にはなるかもしれませんが。

でも、待てる環境にあるのなら、待ったほうがいいんじゃないかな、と思うのです。

蛇足になりますが、『ラッキーカラー』などの『身につけているだけでプラスになる』類の物に関しても一言。

単純に、そんな虫のいいものはあり得ないと僕は思っています。そういう類のものは『実力』を倍――あるいは数倍にはしてくれるかもしれませんが、だからこそ、頑張らなかった人――『実力』がゼロの人には効果がないと思うのです。だって、ゼロはなにをかけたってゼロにしかならないのですから。

最近は努力することを嫌ったり、嘲笑ったりし、棚からぼた餅的な出来事を期待する人が増えてきているイメージがありますが、やっぱり最後は『正しく努力した人』が報われるのだな、と思う今日この頃です。
長々とおつき合い、ありがとうございました。
それでは。
by ru-raa | 2010-04-05 16:23 | 創作論 | Comments(2)
Commented by shauna-crown at 2010-04-06 02:39
感想もらえるとすっごいうれしいですよね・・・
では。
Commented by ru-raa at 2010-04-06 15:52
>シャウナさま
はい! すごく嬉しいですよ!
褒め言葉だと一瞬、息が詰まってしまうくらいに嬉しいです!
それでは。
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